迷色まくるの巡礼の日々

迷色まくるの巡礼の日々

1日1000文字15分で

人生を楽しみたい、今を楽しみたい

追い詰められている、苦しいときこそアウトプット。自分の気持ちをさらけ出そう。

自分を第一に大切に生きる。他人ののために自分の心、身体、時間を犠牲にして、自分を傷つけるのはやめにしよう。

自分ファースト。少々わがままくらいが僕にはちょうどいいのかも。

話したい人と話したいことを自由に話すことができたら。みんなが普通にしていることが僕にはできない。どうしたらしゃべることができるんだろう?

できないことを憂いても苦しくなるだけ。楽しいこと、できることに意識を向けよう。今、しゃべれる人、しゃべってくれる人との会話を大切に、楽しむ。

人生を楽しむ。自分の人生を楽しむ。人を羨んでも空しくなるだけ。自分が楽しめるものを探して、全力で打ち込む。コスパとか無駄とか意味ないとか考えない。バカになって楽しむんだ。人生は暇つぶしだよ。

人生クラクション

人との距離感が難しい。気を許してはいけない人に近付きすぎてしまったり。友達のいない僕は、話を聞いてくれる人、共感してくれる人に近づき過ぎてしまうようだ。だから、そこにつけこまれ、利用されたり、いじめられたり、相手にひかれたり。何度繰り返すのだろう?

友達がほしい。俺の話をただ聞いてくれる友達が。たまに共感してくれる友達が。呼べばすぐ会って話を聞いてくれる。そんな友達がほしい。共感が不足している。誰か直接話を聞いて、共感してほしい。

1人が好きなのに、他人が仲良くしているのがすごく羨ましくて苦しくなる。本当は1人が好きなんじゃない。楽だから1人でいるだけ。本当は、みんなと仲良く楽しく人生を過ごしたい。それをする能力がないから壁を作り1人でいるだけなんだ。

他人に期待するなと念じながら期待してしまう自分がいる。期待どおりにならず落ち込んでしまう。まだまだ人生後半戦ほ始まったばかり。前を向いて生きていこう。捨てる神あれば拾う神あり。また、いいことあるさ。下を向いていたら幸運にも気付かないよ。

流浪の月を再読しながら思うこと

流浪の月を読み返している。半分くらい読んで、ここまでで気になる文を引用した。


・結婚は相手の価値が下がっていくシステムなの。


安西さんが言った言葉。確かにその通りだ。どんどん失点していく。それはお互いにだ。距離が近づき過ぎるため、相手に期待するから。所詮夫婦は他人。育った環境も価値観も違う。期待しすぎてはいけない。適度な距離を取り、他人なんだと割りきることが大事。あくまで僕たち夫婦の話です。


・世の中に『本物の愛』なんてどれくらいある?少しちがうもののほうが多いんじゃない?みんなうっすら気づいていて、でもこれは本物じゃないからと捨てたりしない。本物はそうそう世の中に転がっていない。だから自分が手にしたものを愛と定めて、そこに殉じようと心を決める。それが結婚かもしれない。


亮くんとの関係について考える更紗の心の声を引用。まさにその通り。何も言うことができません。あれこれ考え出すと、結婚したことは間違いだったんじゃないか?とか、よからぬ思考が頭を侵食してくる。 頭をバカにして、これが正解なんだ、と思い込むしかないのかもしれない。


更紗と文のすれ違う気持ち。愛のかたち。再読なので、噛み締めながら楽しんで読んでいきたいとおもいます。家族でもなく夫婦でもない。それでも強い絆でつながる2人の愛のかたちに少し憧れます。

流浪の月を読んだ

先が気になって2、3日で読んだ。登場人物がほぼ全員にどこか欠けているところがあって、それぞれがうまく助け合って生きていこうとするんだけれど。さまざまな心のすれ違いがあって悲劇を生む。主役の文と更紗。楽しく安らげる時間の描写も、次に訪れるであろう悲劇が予想され、読んでて少し辛かったな。どうか、2人に安らぎの時が訪れますように。と願いながら読んでた。

本屋大賞って本当に面白いなあ。ここ、4年くらいの作品しか読んでないけど。書店員さんが選ぶだけあってオススメ作品ばかりですね。愛の溢れる物語、読んでて明るい気持ちになる作品が続いていたのですが。今年は少し違った愛の作品でした。


『相手のために』取る行動。
実は全て自分のため。実際の世の中でも多いですね。自分にも心当たりはあるのですが。

気持ちのすれ違い。
これは難しいですね。夫婦。家族。友人。同僚。相手を想う気持ちが大事。歩み寄り、譲り合いも大事。しっかり、落ち着いて、相手を尊重して。相手の意見をまずは聞く。受けいれられないことについても、しっかりと理由を告げて伝える。その上で、どう折り合いをつけるか話し合う。一方的に拒絶するとか、「分かってくれない」と嘆いてしまったら、すれ違いの始まりだよ。

以上。最近の思うところ。本を読んでて思ったことてした。

眠れない夜に考えたことを羅列してみた

・何でも悩みを相談できる人が退職して4ヶ月が経った。ロスが大きすぎる。仕事上イライラしたり、不安だったり、家族の問題や自分のどうしようもない孤独感。それらについて、何でも話せる、聞いてくれる、とても貴重な存在でした。今は、自分で何とかするしかない。

・悩みを話す。打ち明ける。それができないなら、せめてキレイな人と話したい。もっと仲良くなりたい。多くは望まない。気軽に話せる、笑顔で話せる距離感が欲しい。少しでも話せただけで、その日はハッピー。今週は、僕が髪切ったことに気づいてくれ、「素敵だね」って言われて、天にも昇る嬉しさよ。

・結婚したことで、精神衛生上の安定に繋がった。子供ができ、家を建て、端から見たら、幸せな夫婦。順風満帆な人生。だけど。。夫婦って難しい。どこで、どうすれ違ったんだろう?好きや嫌いだけでない。お互いの趣味嗜好の問題でもない。人生の方向性の違い。今世の役目の違い。相容れない。

ねじまき鳥クロニクル。20代の頃の僕の感想。井戸に潜ってウダウダ自問自答する、よく分からない話だなあ、と。20年の時が過ぎ読み直し中。面白い。ある意味自分の境遇と通じる。僕の妻は家出していないが、精神的には或いは家出しているのかも。僕も井戸に潜りじっくり自問自答するべきなのかも。

悔しいけど辞められない

上司からありえないくらい仕事を振られ、毎日パンパンすぎる。助手が欲しい。細かい仕事から他部署を巻き込んだ大きな仕事まで。何でもかんでも振らないででほしい。またうつ病になってしまうよ。イカイカン。完璧主義は止めたんだった。出来ない自分を、みんなの前で、社長の前であからさまにする計画なんだった。出来ない自分を受け入れる。周りからどう思われてもいい。むしろ出来ない奴だと思われたい。難しい仕事はやりたくない。仕事パンパンな中、協力してくれる仲間がいるのがありがたい。他部署の方が助け舟を出してくれたりもする。とても助かる。そんなご厚意にものすごく救われる。世の中、いろいろ大変な人たちがいる中、仕事させてもらえるだけありがたい。仲間がいてありがたい。

さて、ここ数カ月で世界がガラッと変わってしまった。予定なら、今頃は会社を辞める準備をしている頃。どのように上司に切り出すか、新しい自分の仕事ついて、どのように準備していくかなど、本来なら考えていただろう。世界は変わってしまい、そんな自分のもくろみは簡単に崩れてしまった。悔しいけど辞められない。会社員は守られている。たとえ収入が減っても、まだ安定的に収入を頂ける。独立していたらこうはいかない。悔しいけど辞められない。もう1つ、在宅勤務やステイホームで改めて気付かされた。コミュニティって大事。人とつながることって大事。笑うこと、しゃべることって本当に大事なんだ。僕が現在、所属するコミュニティは、家族と会社の2つのみと言っていいだろう。数少ない友達は、県外にいたり、たまに連絡するくらいで、コミュニティではない。今僕が独立していたら、無収入どころか、ものすごい孤独で押しつぶされていただろう。僕のような、人見知りでコミュニティにも属していない人間は、独立すべきではないのかもしれない。改めて考えさせられる。

もう1つ。子どもが大きくなって独立したら。。家族というコミュニティすら機能するのか。子どもが巣立ち、嫁と2人での生活。残念ながら違う方向を見ている2人。子どもが巣立つ頃には定年で、僕が所属するコミュニティはなくなってしまうのか。かといって、今から、知らない人しかいないサークル活動なんかに飛び込んでいけないし。そんなことができていたら悩んでないし。将来がものすごく不安。少なくとも、次に出会う、気の合いそうな人はとても大事にしよう。そんな出会いがあればの話だが。

しゃべる、つながる、笑う、怒らない。何1つできていない。

ここ最近、人としゃべらない。家族ともあまりしゃべらない。バカにされてるし、腹の立つことがあったり。許せないことがあったり。友達いないし、家族ともそんなだから、つながってない。笑うこともない。子供には怒ってしまう。嫁には、怒りの感情はあれど、表には出せない。爆発しそう。精神的にヤバい。深く考えるな。今にいいことあるよ。今よりも辛いことを俺は今まで経験してきたじゃないか。あの頃に比べたら、今は何て恵まれてるんだ。そう思わないか?俺は、話す友達いないし、愚痴を言う相手もいなくなってしまい、自分を抑えるのが大変だ。思えば、ブログを書いてる期間って、情緒不安定な時だなあ。精神的に安定しているときは、ブログは書かない。日記は書いてるけど。ブログは誰にも言えないストレスのもとの発散場。リハビリテーション。こんな夜は早く寝よう。